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クーラの神話

ハイデガーの『存在と時間』第42節に以下のような神話が引用されており、その他者への気遣いをめぐる考察が福祉関連の人びとに参照されている。


クーラ(気遣い)の神話
in Hyginus’ Fabulae ヒュギーヌスの寓話より

昔、クーラ(気遣い、関心)が河を渡っていたとき、クーラは白亜を含んだ粘土を目にした。
クーラは思いに沈みつつ、その土を取って形作りはじめた。
すでに作り終えて、それに思いをめぐらしていると、ユピテル(ジュピター、収穫)がやってきた。
クーラはユピテルに、それに精神をあたえてくれるように頼んだ。そしてユピテルはやすやすとそれを成し遂げた。
クーラがそれに自分自身の名前をつけようとしたとき、
ユピテルはそれを禁じて、それには自分の名前があたえられるべきだ、と言った。
クーラとユピテルが話し合っていると、テルス(大地)が身を起こして、
自分がそれに自分のからだを提供したのだから、自分の名前こそそれにあたえられるべきだ、と求めた。
かれらはサトゥルヌス(クロノス、時間)を裁判官に選んだ。そしてサトゥルヌスはこう判決した。
ユピテルよ、お前は精神をあたえたのだから、このものが死ぬとき、精神を受け取りなさい。
テルスよ、お前はからだをあたえたのだから、(このものが死ぬとき)からだを受け取りなさい。
さてクーラよ、お前はこのものを最初に形作ったのだから、このものの生きているあいだは、このものを所有していなさい。
ところで、このものの名前についてお前たちに争いがあることについては、
このものは明らかに土humusから作られているのだから、人間homoと呼ばれてしかるべきであろう。



(Fabulae のラテン語テキストには異本が複数ある。これは Heidegger が Sein und Zeit. S.197. で用いているもの。Fabulae の邦訳は、ヒュギーヌス、松田治・青山照男訳『ギリシャ神話集』、講談社学術文庫、2005)
以上、下記サイトより引用。
http://edu-pdc.edu.wakayama-med.ac.jp/kyweb/kantake/ethics/sono2/curamyth.pdf.

注:
サトゥルヌスはクロノス、時間の神
ユピテルはジュピター、収穫の意
クーラは気遣い、関心の意、Cura (Greek Kore)、ペルセポネーのこと
→http://www.bellissimoyoshi.net/romamito.htm

ローマ神 ギリシャ名 機能
テルス ガイア 大地女神
サトゥルヌス クロノス 農耕の神
ユピテル ゼウス ローマの最高神
プロセルピナ ペルセポネ 農業の女神、あるいはペルセポネの移入

画像は、すべてクーラ=ペルセポネーを題材にしたもの。
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ハイデガーはこのギリシャ神話、厳密にはローマ神話(寓話)を使って、現存在における気遣いの重要性、時間の優位性を説明しているのだ。ローマ的な契約の原理が印象的だが、前述したようにここには人間の相互性としての福祉、ケアの原理がある。

以下、 田畑 邦治氏のサイトより。
http://secondlife.yahoo.co.jp/health/master/article/d102tkuni_00011.html
<このハイデガーの言う「ゾルゲ」という言葉は、英語では最近よく耳にする「ケア」(care)と訳されていますが、古いラテン語では「クーラ」(cura)という言葉がこれに相当します。ちなみにこれは現代のキュアー(cure)の語源です。日本語では「憂い」とか「関心」「配慮」などと訳されています。>

<さて、この思想を私たちの現代の生活や、介護福祉・医療の現場に置きかえて考えてみると、意外に明るい展望が開かれるのではないかと思います。もちろん関心・配慮に生きることはいつも明るいことばかりではありません。curaが「憂い」とも訳されているように、私たちはこの世界の中で日々さまざまなことに憂慮しています。意に添わない人や仕事を引き受けなければならないとか、それでなくとも人生の無理難題は果てることもないほどです。しかし、ハイデガーが言うように、人間という存在者は、関心(ゾルゲ)のうちに自分の存在の「根源」を持っているのであり、生まれつき「憂い」の刻印を帯びているのです。(中略)高齢社会は「ヒト」から「人」への進化の時代だという趣旨のことを述べましたが、その「人」が「他人の身」を「憂うる」者にまで成長するとき、「優しい人」すなわち人間的「善」が少しずつ実現されるのではないでしょうか。「優しさ」という字は「人」を「憂うる」と書きますから。>

ハイデガーの他者把握には賛否両論はあるだろうが、注目すべきテーマだ(ちなみに、制作を主題としてみたとき上記の神話はまた別の側面を持つようにも思う。またローマにおける制作に対する法律の優位という主題も読み取れる)。
ハイデガーの考察を中間におくことにより、季刊「at」に連載中のケア論と世界歴史の把握をめぐる柄谷氏の論考の間などにも、補助線が引かれ得る。

参考関連サイト及び書籍:
高橋隆雄・中山將編『ケア論の射程』九州大学出版会
http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/takahashi/issue/Care_Theory.htm
村田久行『ケアの思想と対人援助』
http://tatetaka1974.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_e472.html
村田久行氏は傾聴理論で知られている。
by yojisekimoto | 2007-12-31 15:46 | ハイデガー


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