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プルードンの矛盾の体系

プルードンの経済学を解説したものに以下の図がある。
プルードンの矛盾の体系_a0024841_23464596.jpg

(P)は肯定的で、(N)は否定的規定群を意味する。
一見するとヘーゲルのそれと近いのだが、ヘーゲルの場合矛盾は解消されてしまうのに対して、プルードンの矛盾は解消されない。

「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」*(プルードン『革命と教会における正義』、 斉藤悦則氏のHPより)

図の制作者、佐藤茂行氏の解説を見てみよう。

 「まず、各カテゴリーが大別して、相異なる二つの概念規定をもつということは、カテゴリー(類概念)が、相異なる、不調和な、つまり「矛盾」した規定(種概念)から構成されている、ということである〔この規定は、経験的なものとして考えられている〕。また、各カテゴリーに共通した二つの規定がみられる、ということは、共通した基準にもとづいて、それらの規定が分類されていることを物語る。つまり各カテゴリーの規定は、共通した、ある基準にもとづいて二つのグループに二分されているということである。この共通の基準が「体系」の論証主題(区分原理)としての平等=正義にあたることは明らかである。各カテゴリーの規定の(P)グループは、平等=正義の基準からみ肯定的(positive)な規定群であり、これにたいして(N)グループは、同様に否定的(negative)な規定群である。このようにして、各カテゴリーは、平等=正義の基準からみて、相異なる(=矛盾した)肯定的規定と否定的規定の「アンチノミ−」からなっているのである。そしてこれらの肯否それぞれの規定が、平等=正義を基準とした二分法によって区分され、分類されたものであることは明白であろう。
 つぎに、各カテゴリー相互の関連をみると、最初の「分業」を除けばそれらは先行するカテゴリーを否定するかたちをとっており、相互に「矛盾」する関係にあることがわかる。すなわち第二期の端緒たる「分業」を例外として各カテゴリーの肯定的規定が、いずれも先行するカテゴリーの否定的規定を否定するかたちで定立されていることがわかる。ここから先行するカテゴリーの否定的規定が、つぎのカテゴリーの〔肯定的規定の〕設定のいわば否定的契機の役割を果していることは明らかであろう。
以上、第一期から第五期までのカテゴリーについてみると、平等=正義を区分原理とし、否定的規定を展開の契機とした種概念(肯否の規定)の分類体系が成立していることが明らかとなる。これを「表(タブロー)」として表わしてみると上表のようなものとなろう。
 これらのカテゴリーの関係はすでに触れた通り、各カテゴリーの否定的規定を契機として結びついているわけであるが、これは各カテゴリーがプルードンのいう系列関係にあることを示している。
しかもこの関係は、いずれも㈱と脚との「矛盾」によって成立しているところから、この系列はまさしく弁証法的系列にほかならない。そしてこの系列は、一定の分頼主題(平等=正義)のもとに統括された弁証法的系列の体系でもある。
 ブルードンによれば、系列は法則すなわち必然性を表わすものであり、それを証明するには系列の諸項を継続的にたどる(parcourier)ことによって、諸項の間に同一性を検証すればよい(Creation,p.200.)。この考え方からすると、各カテゴリーの諸規定をたどることによって、それらの規定の間に「平等」なり「貧困」なりの同一性つまり共通性を検出できれば、これによって「平等」と「貧困」の対立関係の系列=法則が確証されたことになり、その結果それは必然的な法則として証明されたことになる。ブルードンは、平等については既述の通り正義と解し、また貧困については、のちにみるように、悪と考えているから、したがって、カテゴリーの「弁証法的系列」は、平等=正義と、貧困=悪との対立の必然性を論証する体系を構成していることになるわけである。以上、第五期までの「矛盾の体系」の展開について、「系列の弁証法」が適用されていることは明瞭であろう。」
佐藤茂行『プルードン研究―相互主義と経済学』(木鐸社、p148-9)より

プルードンの思想を図解したものは他に以下がある。これは時間軸が無視された構造的な把握だ。
参考:『プルードン研究』(岩波書店、p48)作田啓一作成の図。
プルードンの矛盾の体系_a0024841_23355738.jpg


この図は、柄谷行人の四つの交換図に似ているが、実際にはパーソンズの影響を受けたものだろう。

参考サイト:ヘーゲルとパーソンズと柄谷:メモ

話は戻ってプルードンの経済論だが、これはマルクスによる意図的誤読による攻撃があったために、無視され続けている。マルクスに対するプルードンの反論は本の余白への書き込みというかたちで残っている。検証サイトをつくったので参考にしていただけると幸いです。

参考サイト:マルクス『哲学の貧困』へのプルードンの書き込み

プルードン(対マルクス)に関してはスペイン語の以下のブログが詳しい。
http://franciscotrindade.blogspot.com/2005/11/polmica-das-duas-misrias.html

追記:
プルードンに関しては斉藤悦則氏の以下のサイトが必読と思われる。
プルードンとマルクス
http://www.kagomma.net/saito/travaux/P&M.html
以下上記サイトより。

 分業・機械・競争・独占・租税・貿易・信用・所有・共有・人口という十のカテゴリーのそれぞれにプラス面とマイナス面がある。ひとつのカテゴリーの否定面を否定する形でつぎのカテゴリーがあらわれるが,これもまたあらたな否定面を不可避的に随伴する。善(肯定面)のみを保持し,悪(否定面)のみを除去しようとしても,それはむなしい。なぜなら,両者はともにそのカテゴリーの本質的な属性であり,ともに必然で等価の存在理由をもっているからである。プルードンはこうした関係をカント*風にアンチノミーと名づけ,現実の経済社会をアンチノミーの連鎖(すなわち矛盾の体系)として描き出そうとした。経済事象の内的対立が経済にダイナミズムをもたらし,アンチノミーがあるからこそ社会は前進する。矛盾がない状態とは停滞であり,生気の欠如であり,死のごとき無にひとしい。たとえば私的所有の弊害を見て共有の賞揚にむかうのはありがちな図式だが,こうした共産主義に永遠の楽園を期待するのは愚劣かつ危険である。もちろん私的所有の弊害を無視するのはさらにナンセンスかつ有害である。われわれはどこまでも矛盾とともに生きることを覚悟しなければならない。


この言葉はベンヤミン『パサージュ論』邦訳第4巻にも孫引きされている。ベンヤミンは『パサージュ論』で20箇所くらいプルードンに言及しているが(マルクスの半分以下だろう)、孫引きが多い。ボードレール論を書く際にもその素材をフーリエやブランキを描写したようには活用しなかった。このことは再度書いてみたい。
by yojisekimoto | 2008-02-04 23:47 | プルードン


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