「こうしてスピノザは、社会契約論を、政治制度をはじめとするさまざまな社会的経済的システム全体の問題として再検討すべきであるとの考えに至った」柴田寿子「スピノザ政治論とカルヴィニズム」『スピノザと政治的なもの』平凡社(p230)
上記はスピノザの『神学・政治論』を論じた論文の一節だが、まるでプルードンを論じた言葉のようでもある。
多元的なスピノザによる聖書分析をさらに多元的に読み取ることが重要だということだろう。
上記論文は、カルヴィニズム(厳格な決定論を持つプロテスタントの一派)に対する反発がスピノザの時代状況から読みとれるという論文だったが、カルヴィニズムの持つ決定論に関してのアンビバレンツな態度は、ゴドウィンとの比較を可能にするかも知れない。
(なおプルードンは『革命と教会における正義』でスピノザの『エチカ』第五部から引用している。)
http://yojiseki.exblog.jp/5792100/
http://yojiseki.exblog.jp/4900101/
さて、社会契約の持つ一元的な危険性と、スピノザ=プルードンの唱える多元性を図解するとどのようなものになるだろうか?
これは以前別ブログでアップした「都市はツリーではない」が参考になると思う。
http://nam-students.blogspot.com/2008/01/blog-post.html
社会契約がツリー状で、プルードンの試みた交換銀行の相互契約はセミラティス状ということになる。