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1+1=2?

ラッセルは『数理哲学』(Principia Mathematica)で集合論を援用して1+1=2を証明している。

画像は『数の悪魔』及びgoogle booksより。

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上記ブログより
「『数の悪魔』(エンツェンスベルガー著、丘沢静也訳、晶文社)というのがある。
この本の217~219ページにラッセル卿(バートランド・ラッセル。1872~1970。享年97。長生きでしたね)が1+1=2を証明した、とさらっと書いてある。そしてその証明方法を記したものが示されている。」

ラッセル=ホワイトヘッドの証明はフレーゲの証明を考慮しなかったために、現在では先駆的意義のあるものとみなされていないが、それでも当時としては画期的だった。
それは集合論的帰納法に基づいているからだ。
ラッセルによれば各数字はその数の集合を代表すると見なされる。これで数字の意味づけが完成する。
さらに、ラッセルはペアノの定理を利用し、ゼロと順列を定義する。
どのような数字であろうともゼロから順列が続いていると定義するのだ。
そして、1+1=2の証明においては、(ここが重要だが)、1と1が集合論的に重なっていないことが確認される。
これは例をあげる必要がある。例えば夜空の星をふたりの人間が数えていて、ふたりともひとつづつ見つけたとしよう。
だが、ふたりの見つけた星が同じ星だとしたら1+1=2にはならない。ふたりの見つけた星がそれぞれちがうからこそ合計が2と言えるのだ。このあたりの説明が集合論を援用するとうまくいく。

(映画『ノスタルジア』『赤い砂漠』で、1+1が1であるという主張がなされるが、こうした手続きが間に介在されるところが芸術と数学の違いと言うことだろう。ただし、ふたりの人間が「地球」を数えているのだとしたら1+1が1にならなければ「数学的に」おかしいということになるだろう。アントニオーニの場合、人間は互いに重ならないという認識が冷たい作風を生んでいるのかも知れない。)

さて、ラッセルは『プリンキア・マテマティカ』を一般向けにした『数理哲学入門』(河出書房、世界の大思想ほか)において、この辺りの考え方の基礎を分かりやすく説明している。(ラッセルは、今日では丸括弧であらわす数式記号をコンマで表したりしているので読みにくいというのも理由のひとつだが)それでも一般にはむずかしいのでなかなか認知されていないのが現状ではないだろうか。

参考:
http://blog.plover.com/math/PM.html

by yojisekimoto | 2008-06-06 21:14 | 数学


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