NHKでも以前紹介されたが、寺子屋を描いた面白い絵がある。
一寸子花里作「文学ばんだいの宝 末の巻」より
以下のサイトに解説がある。
ほぼ日刊イトイ新聞 江戸が知りたい
http://www.1101.com/edo/2006-02-24.html
この絵からは近代以前の軍隊のようになる前の教育の豊かさが感じられる。単にアナーキーというだけではない社会的インフラを伴う豊かさだ。
突飛な発想だが、この絵は、カルパッチョの絵を連想させる(イタリア料理のカルパッチョはこの画家の色使いに由来して命名された)。以下は彼の代表作の一枚。
出典:
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/c/carpacci/index.html
タルコフスキーが『映像のポエジア』でラファエロ以上だと絶賛したこの画家には、ヴェネチアの民主主義を的確に捉える才能があった。
ふたつの絵に共通するのは登場人物の視線が同じ方向を見ずに複数の方向に交差しているという点だ。
だからといって個人個人が分裂しているわけではないという点も重要だ。もし分裂しているなら携帯電話を片手にした都会の群衆も変わらないことになるからだ。
教育の話に戻るなら、フィンランド教育のバックボーンにある心理学は、この絵のような自由連想的な思考のあり方を支援し、さらに個々の思考対象及び主体を横につなげていくものでもあるだろう。
200年前のヴェネチアと日本には、現在よりも豊かな時間と空間があったような気がしてならない。