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スピノザとライプニッツ再考

以下、以前紹介した図を利用してスピノザとライプニッツに関して再考してみました。

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ドゥルーズはかなりライプニッツとスピノザをつなげて解釈しています。
(彼のスピノザ論で概念が強調されるのもライプニッツ的な普遍計画への傾斜を反映しているのではないか。)

ドゥルーズによれば、ライプニッツとスピノザの最終的な違いは、多義性と(一義的)一元性ということになります(参照:ネグリ『野生のアノマリー』p327)。
ただし、スピノザの思惟と延長の平行論は安易な一元論を許しませんし(「疑いつつ、在る」は端的には二元論であろう)、ライプニッツの多義性は構成主義的な一元論と紙一重だと思います。

二人の違いは、スピノザとライプニッツの図形の捉え方を検証するとわかりやすいと思います。
(微分発見以前の)ライプニッツはある一点に集約される交点に精神を見出し、一方、スピノザは限られた空間内での図形のあり方に無限を見出しています。

参考図(過去ログより):
スピノザとライプニッツ再考_a0024841_21201094.jpg

(『ライプニッツの普遍計画』p370より。点Aはそれを中心とする円周(物質=延長)からどのように類推しても求められる最小点(精神=思惟)だが、物質として可視化出来ないにしても、確実に存在しているというもの。)
スピノザとライプニッツ再考_a0024841_13484060.jpg

(上はスピノザ自身による無限の説明図。『書簡12』--書簡50には無限の説明があるが図はない--、本来はデカルトのつくった図だが純数学的に改変して『デカルトの哲学原理』に採用されている。
円と円の比率が無限に存在するということは、実体に対して様相が無限に存在するということでもある。)
スピノザとライプニッツ再考_a0024841_12545794.jpg

(『エチカ』に出てくる最初の図--第1部定理15備考より--では、2本の線が無限に延びるとしたら、BとCのあいだと、既存の線と2種類の無限が外在的に存在してしまい、おかしいと説く。もうひとつの図--第2部定理8備考より--は任意の線であるDとEの矩形は無限に存在し得ると説く。こちらでは内在的無限の合理性を説明している。)

先に述べたように、ライプニッツには(多元論を束ねる一点を認めるという意味で)集権的な合理主義の危険があり、スピノザには精神が偏在すると考えることによる神秘主義の危険があります。
一般にライプニッツの数学的貢献が強調されますが、スピノザのカントール等に先立つような現代数学における先見的な価値もまた(柄谷行人が『探究2』第二部で述べたように)疑い得ないと思います。
by yojisekimoto | 2008-10-04 00:44 | スピノザ


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