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プルードン主義者?ブローデル

浅田彰と対談したこともある経済学者アラン・リピエッツは、ブローデルについて「プルードン主義」ということばをあてはめて使っている(『ブローデル帝国』p134)。
実際ブローデルはプルードンと同じく資本主義と市場経済を区別し、前者を後者の堕落と考えており、以下のように述べている。

「結局、市場経済と資本主義とを明瞭に区別して、(略)『すべてか、しからずんば無』を回避すべきではなかろうか。」(『物質文明〜』3-2,p332)

ただし、実際にプルードンが封建制の残余を指摘した部分をブローデルが引用した際(『物質文明』2-2,p255)もバンカールの研究書(邦訳『プルードン1』p85)からの孫引きだったし、プルードンが活躍した19世紀以降を彼は詳述していないから、実際の影響関係はわからない。
「プルードン主義」なるものは、リピエッツのようにフランスの歴史の底に流れるするものとしてあると考えたほうが良さそうだ。

さて、ウォーラーステイン(*)はもちろん、最近邦訳されたアリギの『長い20世紀』(p37,35)の主要アイデアも以下のようなブローデルの見解に依拠しており、ブローデルの重要性は年々高まっている。

「われわれが知っている世紀サイクルは三つしかなく、四回目のサイクルは(一九七〇年代に折り返し点を置いたことが誤りでないとすれば)、その過程のなかばにさしかかったところなのである。しかしながら、これらの果てしなく続く大波はしだいに短縮する傾向にあるように思われる。」(『物質文明〜』3-1,p90)

「商品から銀行へのこの移行は、早くも十五世紀のジェノヴァにおいて明瞭そのものに見てとられたのではないか。」(『物質文明〜』3-1,p314-315)

アリギによれば後者の商品から銀行への移行はM-C-M'のうちのM-CとC-M'またはM-M'として記述される(『長い20世紀』p36)。また別の個所のアリギの指摘によれば(同書p55-56)、ブローデルはアダム・スミスとも違い、テーゼとアンチテーゼがジンテーゼに総合されるとは考えない(スミスは中庸を模索したのでかならしもヘーゲル的ではない)。考え方の基盤そのものにおいて、明らかにプルードンとブローデルに共通点を見出せると思う。


*追記:
勘違いしていたのだが、蓄積サイクルの定式化は、ブローデルよりウォーラーステインの方が早かったようだ。

「ヘゲモニーのパターンは、驚くほど単純である。農=工業における生産効率の点で圧倒的に優位に立った結果、世界商業の面で優越することができる。(略)こうした商業上の覇権は、金融部門での支配権をもたらす。」(邦訳『近代世界システム 1600〜1750』p45-46)

最近の世界史の参考書(『続 荒巻の世界史の見取り図 16〜19世紀』)を見たら、そこでウォーラーステインの世界システムが採用されていて驚いた。
こうした学問世界におけるグローバリズムは歓迎すべきだろう。

ただし、フランクなどによってそのヨーロッパ中心主義は批判されている。上記の参考書でもその辺は考慮されているが、ブローデルの方がイスラムへの目配せなどは比較的良心的だと思う。

『リオリエント』のなかでフランクは、モンゴルとヨーロッパはそれぞれ東アジア、西アジアを中心にした周縁(モンゴルとヨーロッパにアナロジー=構造的同一性が成り立つ)だとしている(参照邦訳p431)。
『長い20世紀』のアリギはフランクの影響設けているから、次のヘゲモニー(**)を東アジアにしている部分はそのせいでもある。

複数の中心を措定するフランクとそれを支持するアリギは、明の朝貢貿易を再評価する(アリギは日本の歴史学者の濱下武志などとも共著がある)。阿片戦争まで続いた貿易様式は、帝国に組み込まれることのない多国間のあり方とも解釈できるのだ。この点は沖縄などのケーススタディーを待たなければならないが、阿片戦争以後、アジア諸国は幸福になったわけではないのだから説得力はあるし、1870年頃の帝国主義の時代に今は近いという柄谷行人の見解を考慮した場合、再考する価値がある問題だということになると思う。


**追記の追記:
次のヘゲモニー国家はどこかという問題に関しては、どう考えても人口の問題を避けて通れないだろう。
エネルギー問題、食料問題を解決すれば、人口の多い国がヘゲモニーを握るのは当然で、そうなってくれなければ(そうした問題が解決されないことを示す訳だから)逆に困るのだ。

ちなみにヘゲモニー変遷は以下のような銀行の設立時期を見るとわかりやすいだろう(国家というより都市単位で見る必要もあるかも知れない)。

1407サン・ジョルジョ銀行(ジェノヴァ)
1587ヴェネツィア銀行
1609アムステルダム銀行
1694イングランド銀行
1791アメリカ合衆国銀行
1882日本銀行
1905中国銀行(大清戸部銀行、清国)
1948中華人民銀行(中国)
2001中国銀行(香港)現在の名称に変更
by yojisekimoto | 2009-04-22 13:45 | プルードン


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