プラトンは法律によらない性の自己統御の例として運動選手を挙げている。
フーコーはそれに批判的に言及する。
「プラトンが言及するのは運動競技者の例であって、彼らは競技で勝利を収めたい欲求があるので、厳しい禁欲の生活法に服して、練習中はずっと女にも若者にも近づかない。ところが欲望という内面の敵にたいする勝利のほうが、競争相手にたいして収めることができる勝利よりはるかにすばらしい(『法律』840、岩波文庫p134)、というわけである。」(邦訳『快楽の活用』p212より)
ちなみに、あとがきで訳者がまとめていたフーコーの性のあり方をめぐった歴史観は以下のような図式になるだろう。
ギリシア
(自己統御)
/\
/__\
キリスト教 中国
(禁欲) (快楽)
子作り
ギリシア
(行為、自己統御)
/\
キリスト教/ \中国
(禁欲) \ /(快楽)
\/
現代
(欲望、行為△、快楽×)