関本洋司のブログ
2016-10-08T19:19:20+09:00
yojisekimoto
関本洋司個人のブログです。
Excite Blog
フェルガナ運河
http://yojiseki.exblog.jp/23273070/
2016-10-08T19:17:25+09:00
2016-10-08T19:19:20+09:00
2016-10-08T19:16:55+09:00
yojisekimoto
映画
後者はアフガニスタンではなく中央アジアが舞台だが。]]>
ヨハン・クライフ(1947~2016) その可能性の複数の中心
http://yojiseki.exblog.jp/22668989/
2016-03-31T22:36:33+09:00
2016-03-31T22:36:19+09:00
2016-03-31T22:36:19+09:00
yojisekimoto
スポーツ
その可能性の複数の中心
クライフターン、トータルフットボール
その可能性は複数の中心を持つ
クライフのすごいところはポジショニングだ。
1974年のブラジル戦、西ドイツ戦のビデオで見たとき、動いて欲しいところにクライフが動いていて驚いた。ゲームで自分が動かしているかのようだった。
つまらない試合もクライフの手にかかると面白くなる。
ユーロで優勝したギリシアを攻撃的に再解釈したのもその一例だ。
今日のバルサもクライフがいなければ至高の存在足り得なかった。
バルセロナやバイエルン、自治と自主管理の伝統とサッカーはともにある。
自分にとってクライフは21世紀最大のアナーキズムの思想家だ。]]>
経済表=フロー循環図:再考
http://yojiseki.exblog.jp/21210035/
2015-05-10T01:07:00+09:00
2015-05-10T08:07:22+09:00
2015-05-09T21:32:16+09:00
yojisekimoto
柄谷行人
(循環図は普通、労働市場を下にするだろうが、上下逆にした。)
二つの需要供給モデルを上下に組み入れたのが味噌だ。図のシンプルさを犠牲にしたが、需給モデルの位置付けは必須になると思い無理やり組み込んだ。
家計と企業は頭と体を捻っている(「意思決定をする」byマンキュー)と解釈して欲しい。
貨幣は左上の国家が発行し起点となっている。すぐ下の図では便宜的に国家ではなく政治学とした。
政治学 | 宗教
|(ネーション)
_____|_____平
経済学 | X 等
|
自 由
労働の需要 生産要素市場 労働の供給
お金の流れ------➡︎D S⬅︎---------
|賃金・地代・利潤 E_\/_均 労働・土地・資本|
(=GDP) /\衡点 |
| -------⬅︎S D➡︎------- |
| |生産へ 所得(=GDP)| |
| |の投入 | |
⬆︎ ⬇︎ マクロ / ⬇︎ ⬆︎
\ / / \ /
企\業 / 家\計
/ \ / ミクロ / \
⬇︎ ⬆︎ ⬆︎ ⬇︎
| |(GDP=) 財・サービス 購入された| |
| | 収入 市場 財・サービス| |
| -------⬅︎D S➡︎------- |
|販売された財 E_\/_均衡点 |
・サービス /\ 支出(=GDP)
---------➡︎S D⬅︎---------
財の供給 財の需要
あるいは(圧縮バージョン)、
労働の需要 生産要素 労働の供給
お金の流れ-➡︎D市場S⬅︎----
|賃金・地代・\/_E 労働・|
|利潤=GDP/\ 土地・資本|
| --⬅︎S D➡︎-- |
| |生産へ 所得=| |
| |の投入 GDP| |
⬆︎ ⬇︎ ⬇︎ ⬆︎
\ / マクロ/ \ /
企\業 /ミクロ 家\計
/ \ / \
⬇︎ ⬆︎ ⬆︎ ⬇︎
| |収入= 購入された| |
| |GDP 財・サービス| |
| --⬅︎D S➡︎-- |
|販売された財\/_均 支出=|
|・サービス /\衡点 GDP|
----➡︎S D⬅︎----
財の供給 財・サービス市場 財の需要
参照:
マンキュー
『マンキュー経済学ミクロ』(邦訳第二版35頁)、
○『マンキュー経済学マクロ』(第二版31,128頁,第三版28頁)、
『マクロ経済学入門篇』(第二版23頁)、
○西村和雄『まんがDE入門経済学』(第二版3頁)
追記:
文字化け、文字ズレについて(コメント欄を改訂):
自分は現在MacbookproとiPadを併用しており、特に使用環境の想定をiPadに特化しています。
多分WindowsとMacで文字コードの扱いが違うので、ブラウザの種類に関係なく、Windowsだと文字化けするか、ズレてしまうと思います。
自分としては今後Windows使用者のためにWindowsを購入して改訂してゆく必要があるのですが、
そうすると今度はMacで見たときにズレてしまいます。
多分Macだけでも調整方法はあるのでしょうが、、、
応急処置として、図の画像キャプを以下に載せておきます。これだと訂正及び閲覧者による自由な変更が難しくなるのですが。
]]>
弁証法の拒絶=ゴダール『さらば、愛の言葉よ』:メモ
http://yojiseki.exblog.jp/21056001/
2015-03-28T22:26:00+09:00
2015-03-29T16:05:56+09:00
2015-03-28T22:26:02+09:00
yojisekimoto
映画
夫婦から生まれる赤ん坊の隠喩はヘーゲルの弁証法のプロトタイプだが、ゴダールは音だけで処理する。
想像力がある者は現実に頼らない、ということだろう。
未来はないと言ったが、前半仕切りに流れるスラブ行進曲(音楽ではなく音への遡行、むしろ数学への傾倒)は、プーチンの暴走を予言している。ゴダールはプロセスをそのまま作品にしているが、未来を予言しているところもある。例えば、『ソシアリスム』冒頭に出ていた経済学者はシャルリーへのテロに巻き込まれて2015年に殺されている。
左右のカメラをわざとズラすシーンは2箇所。ともに男女の乖離を描いているが、すぐに元に戻る。モンタージュされないのだ。2Dではどういう処理になるのだろうか?
ちなみに同じく視差を扱って成功しているのは宮崎駿の風立ちぬ(冒頭メガネのシーン)くらいだろう。
3Dの効用は、望遠が使えず、画角が一定になり、人物に近づくしかなくなるために、かえって被写体が生き生きしてくることだ。
邦題が不評だが、ハードボイルド小説を踏まえた命名はこれまでのゴダール作品の流れからは正しい。しかし今回はもっと素のゴダールが出ている。
引用群はここではない何処かではなく(アフリカが記号的に使われるが)、日常を異化効果によって蘇らせる。『ソシアリスム』にあった資本への視点は消え、自然への視点が増えた。映画の引用は素材が3Dではないからか後退しており、それがいい方向性を示している。『リア王』の時のソニマージュ(における実験の体験)を立体映画でやり直している観がある。もっと私小説的なのだ。
政治的問題は男女間の問題(排泄と平等及び『アリア』的女性の叫びの変奏)に二重写しされる。
ゴッホの点描を見た後のような視覚の広がりを歴史的にゴダールは我々にもたらした。
普通の日本語字幕が浮き出て見えることで映像と観客との溝は広がるのだが、その溝が心地よい。
弁証法の拒絶は、同一化への希求の表れ(キリーロフ)でもある。
_______
以下、参考サイト:
動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある (単行本): ジャック・デリダ, マリ=ルイーズ・マレ, 鵜飼 哲: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/448084743X/
内容紹介
猫に自らの裸を見られた体験から始まる講演など4編を収録。デカルト、カント、レヴィナス、ラカン、ハイデッガーを辿り直し、動物と人間の伝統的な対立関係を考察する。
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ピケティとマルクスについて:メモ
http://yojiseki.exblog.jp/20856257/
2015-02-07T00:49:00+09:00
2015-02-11T22:51:38+09:00
2015-02-07T00:48:26+09:00
yojisekimoto
マルクス
g(経済成長率)
基本的には、主に全体の「資本(資産)」(r)を扱った『21世紀の資本』は、主に
「所得」(g )を扱ったマルクスの『資本論』とは補完関係にある。
物神化=自然環境を貨幣換算する危険は、ピケティより先に資本家が行っている
のだから、ピケティだけを批判しても仕方ない、、、、
マルクスは資産の1/10ほどが交換過程に入ると書いたが、そうしたマルクスの試
行錯誤をピケティは知らない(ギッフェン、コルクホーンの統計をマルクスが利用
しなかったことが批判される(61,238,注38頁))。
ピケティはそもそも貧富の差を論じても労働者の労働環境に興味はない。資本主義の第1,2
基本法則も労働環境とは関係ない(ちなみにマルクスの「資本の有機的構成」c/vに
おける不変資本cと可変資本vを、それぞれ資本と所得に見立てれば、ピケティの
第一基本法則(56頁)における資本/所得比率βがフラクタルに出来上がる。固定資本と
流動資本にも対応させ得るが、それだと労働の観点が消える)。
r>gは、拡大再生産を意味する(生産手段の所有者に産業利潤はもちろん、より多くの利子・
地代による利益が還流する。消費手段における不変資本はgとしてみなされ相対的に減る)。
12頁,主に236頁のマルクスに関する論評が重要だ。マルクスを解釈するうえでβ=s/gにお
ける成長率g=0のときを想定すれば利潤率の低下が理解出来るとされる。
(後述するマルクスの記号を使えばr>(g=M/C+V)ということになる。利潤は部門2のもの)
ただ生産性の成長=相対的剰余価値をマルクスが想定していないというのはシュンペーター
経由の誤解だ。
(注)ピケティは実証分析などに基づき、格差拡大を説明できる関係式として基本法則↓を示した。
r = the rate of return on capital(資本収益率)
la rentabilité du capital (r)
g = the growth rate of economy(経済成長率)
la croissance économique (g)
第一基本法則:α=r×β (56頁,1章)、第二基本法則:β=s/g (173頁,5章)
資本/所得比率β、所得の中の資本シェアα、資本収益率r、貯蓄率s、成長率g
(例:所得の中の資本シェアα=30%,資本収益率r=5%,資本/所得率β=600%、57頁より)
(例:「ある国が所得の12%を毎年貯金しており、当初の資本ストックが所得6年分とすると、
資本ストックの成長率は年間2パーセントだ。つまり国民所得とまったく同じ比率であり、
資本/所得率は安定状態を保つ。」178頁より)
ピケティは、下記の改変マルクス経済表左側の本源的蓄積と固定資本もしくは不変資本を
議論の俎上に載せたと言える。世界政府という新たな部門4を累進課税徴収の主体として
付け加えるべきかも知れない。
カントなら連合体を部門1と2の間につくるだろうが(カレツキ経済表がそれだ)、
ヘーゲル的(マルクスも)には超越的主体が必要になる。
繰り返しになるが、(主に資産,資本を扱った)ピケティと(主に所得,労賃を扱った)マルクス
とは互いに補完関係にある。
ピケティの 改変マルクス経済表。数字は資本論章番号
言う資本 (再生産表式と同じ部門順に改変、中間層が引き裂かれるイメージ。点線実線の区別は省略)
↓
___
/ \
_____ (技術革新等 | (労働時間
|第1部門 | 空間的差異)|絶 の延長) 2:21
|機械と原料|___相対的__|対_____ _追加的不変資本___ Mc
|_____| 剰余価値 |的 ___産業利潤_/_追加的可変資本___\ Mv
本 1:10 |剰 利| \_個人的消費_____/|Mk
固定資本2:9 流動資本 |余 潤|___利子_____単利_________|
\機械)(原料/\ |価 | \___複利________/|
(土地 消耗品) \ |値 /|___地代_____差額地代_______|
源 \ / (労働力) | / \_絶対地代______/|
不変資本C 可変資本V 剰余価値M 生産物W |
1:6 ____\____ / |
1:24 / \ / |
的 ____ / 労\ / _産業利潤___3:1〜____ |
|第2部門| / 賃\/ 利| \ |
|生活手段| / /\ 潤|_利子_____3:21〜____| |
|____|/ 労賃__/__\ / | 3:24 | |
蓄 / / / \\ |_地代_____3:37~44__| |
/ / / /\\ 3:45 | |
不変資本 可変資本/ 剰余価値 生産物____________G____/_/
/ / 四: ◎ 貨幣
積 ____ / / ◯
|第3部門| / / 三: /| 一般的
|総生産物| / / ☆☆☆ 1:1、3、
|____|/ _______/_ ☆☆☆ 3:33
/ 二:|/ 拡大
不変資本 可変資本 剰余価値 生産物 ◯
形態一:◯=☆ 単純
(相対的価値形態 = 等価形態)
http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/blog-post_29.html?m=0#_table
用語解説:
単純再生産の場合、1(V+M)=2(c) 1:21、2:20
拡大再生産の場合、1(V+Mv+Mk)=2(c+Mc) 2:21
剰余価値率または搾取率m'=利潤m/賃金v 1:7
利潤率はp'=m/(c+v) 3:2、13
(Mc,Mv,Mkに関しては略語は後年の解説者が使用したもの)
単純再生産の場合、1(V+M)=2(C)、
拡大再生産の場合、1(V+M) > 2(C)、で生産手段への投資が増えることになるが、
それは消費手段部門の不変資本が相対的に減ることを意味する。
絶対的
B | A
拡大-十-単純
C | D
相対的
マルクスはABCDという論理展開で記述してゆく。
それはカントの質量関係様相というカテゴリーに似ている。
宇野弘蔵はこれをヘーゲル的トリアーデに変換した。
生産流通分配の順序を流通を先にし流通生産分配にしたのだ。
宇野弘蔵の経済原論岩波全書は、それらを知り、
経済政策論とセットなら読む価値はある。
マルクスの体系は、価値形態論、再生産表式の二つを
知ればそれでいいと個人的には思う。
特にほとんどの議論が再生産表式で完結する。
マルクスの頭のなかはこうなっている↓
http://2.bp.blogspot.com/-xuLhbrxVrHI/Tq_GZcWjCMI/AAAAAAAADDY/svEAgSpeGFg/s1600/13.gif
http://3.bp.blogspot.com/-19fBFbP8WwA/Tq_GZpwzZgI/AAAAAAAADDk/lAm4SlJbWhc/s1600/12.jpg
(再生産表式の前身であるマルクス経済表。部門1と2が逆なことに注意)
ガンジーやプルードンが目指したように分配は生産の現場でなされなければならないというのが
原則だが、資産課税を徴収する世界連合、世界国家など認められないと言う人には以下の言葉を贈る。
「孤立を求めて連帯を恐れず」by柄谷行人
追記:
ピケティは農業を捨てることで経済成長する(した)と考えている節があって(124,230頁)、
これは今後データを取る上でポイントになると思う。
ピケティへの批判に住宅問題が例として出されるが、そもそも資産の貨幣換算の問題はピケティ
もわかっている(マルクスも全てが交換過程に入るわけではないと草稿で明示している)。
それよりも一番の問題は、仏英独(123,124,148頁)が農地を住宅等にして生産性を上げた
とピケティが考えているらしいことだ(230頁における農業社会における代替弾力性の低さの
指摘は危険だ。農業は必ずしも遅れた産業ではない)。
ワイン製造農家などは生産性を上げていると言えるのだから 、、、
今は先進国も農業を大事にしている(生産性も高めている)。詳述出来ないがモノカルチャーを
他国に強いるようでは資本税に意味はない。
クズネッツは農業から工業への移行を統計上重視していたのに、ピケティはこの課題を捨象す
るのが早すぎる気がする。だからr>gのテーゼに意味がなくなってしまう。ピケティ書の100
近い図表はもっと多角的に提示し得るのにそこが惜しい。柄谷行人(「ピケティなんてピカチ
ュウ」と酒の席で言っていたそうだ)が『トランスクリティーク』で述べたような「感性的
なデータ(物)を伴」った「未来の他者」(柄谷TC83頁)がピケティ書で機能していることは確
かなのだから*。
*
簡単に言うと、ピケティはマルクスよりサンデル以上にカントに近い。
彼の言う累進課税は統整的理念なのだ。そしてデータは柄谷行人が『トランスクリティーク』
で言うように物自体であり未来の他者なのだ(倫理はそこから生まれる)。
問題点を再度述べるなら、仏英独(123,124,148頁)が農地を住宅等にして生産性を上げたとピケティ
が考えているらしいことだ(230頁における農業社会における代替弾力性の低さの指摘は危険だ。
農業は必ずしも遅れた産業ではない)。ワイン製造農家などは生産性を上げている。
農業と工業の差異を捨象するのが早すぎると、r>gのテーゼの意味がなくなる。
今は先進国も農業を大事にしている(生産性も高めている)。だから日本の差し迫った課題はTPPだ。
詳述する余裕はないが、モノカルチャーを他国に強いるようでは資本税に意味はない。
参考:
NAMs出版プロジェクト: ルイスの「二重経済モデル」
http://nam-students.blogspot.jp/2015/02/blog-post_47.html
NAMs出版プロジェクト: 改変マルクス経済表:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/02/blog-post_3.html
]]>
20150109 柄谷行人講演会「批評と移動」@紀伊国屋書店:メモ
http://yojiseki.exblog.jp/20691042/
2015-01-13T20:07:00+09:00
2015-01-14T05:03:05+09:00
2015-01-10T16:44:58+09:00
yojisekimoto
柄谷行人
ていた(定本4のスミス関連、定本1の中国語版あとがきが内容的にリンクしていた)。
文学の役割の終わりを、サルトルなど第三の道の不可能性と結びつけていた。
ただ、現代のネーションは文学ではなく音楽を手段にしており、帝国は映画を
手段にしているだろう(共に想像力として位置付けられるので柄谷理論の範囲内だが)。
言及のなかったインターネットなどは二重性を秘めているが、それを可能性とは
柄谷は考えていないようだ。実際の移動が未だに重要だということだろう。「言語
・数・貨幣」を完成させたいという発言が反響を呼んだようだが、個人的には韓国
テレビドラマ*への言及(文学終焉説の反響がそこにあったという)が興味深かった。
*
http://blog.livedoor.jp/creampan2005/archives/50868724.html
■韓国ドラマ『姉さん(姉貴)』(全55回)2006年 MBC
https://vimeo.com/116675822
『姉さん』第31話vol.11 chapter2より
「文学 は 新しい 倫理 を 生む (문학 은 새로운 윤리 를 낳는다)」
追記:
『大西巨人文選4 遼遠1986-1996』(1996.7、296~7頁)に以下の記述がある。
《講談社一九八五年刊・柄谷行人著『内省と遡行』の「あとがき」に、
「むろん私は後をふりかえようとは思わない。いいかえれば、自分の過去の仕事
に、私的な意味づけを強いようとは思わない。」という雄雄しい断言があり、私
は、その断言を我流に解釈して、たいそう同感同意している。》(「自作再見」1990.7.9)]]>
『貧困の哲学』プルードン(平凡社)上下:メモ
http://yojiseki.exblog.jp/20369644/
2014-11-11T12:55:00+09:00
2015-02-01T23:00:53+09:00
2014-11-11T12:55:47+09:00
yojisekimoto
プルードン
エピグラフ「私は破壊する、そして建設する」申命記32:39
http://www.amazon.co.jp/dp/4582768202/
http://www.amazon.co.jp/dp/4582768210/
『経済的諸矛盾の体系または貧困の哲学』の図解(佐藤茂行『プルードン研究』木鐸社149頁より)
*前段階としては、序:神(悪←→正義)、経済、構成された価値(貨幣←→平等)
1分業*
__|___
| |
N← →P
↑ /
↑ /
2機械 ↑ /
__|__ ↑ /
| |/
N← →P
↑ /
↑ /
3競争 ↑ /
__|__↑ /
| |/
N← →P
↑ /
↑ /
4独占 ↑ /
___|__↑ /
| |/
N← →P
↑ /
↑ /
5治安・租税 ↑ /
___|___↑ /
| |/
N← →P
以下次のように続く。
6貿易の均衡
7信用
8所有
9共有
10人口
佐藤氏は分業から治安・租税までを(プルードンの記述通り1から5期として)図にしているだけだが、以下追加改変した(プルードン自身は6期以降も否定面を段階的に検証している)。
プルードン『貧困の哲学』はスピノザ体系(『国家論』)に近いがスピノザの知性(『エチカ』)が7の労働(五)にあたる。
7の労働(五)、8では教育が能動的な契機になる。
章番号(段階)
序:神 14結論:相互性
P⇔N N⇔P
↓ 1経済 13人口(十)↑
P⇔N N⇔P
↓ 2価値 12共有(九)↑
P⇔N N⇔P
↓ 3分業(一) 11所有(八)↑
P⇔N N⇔P
↓ 4機械(二) 10信用(七)↑
P⇔N N⇔P
↓ 5競争(三) 9貿易の均衡(六)↑____文庫上下巻区切り
P⇔N N⇔P
↓ 6独占(四) 8矛盾の法則↑(神と人間)
P⇔N N⇔P
↓ 7治安・租税(五)↑
P ⇔ N ⇔ P(労働)
あるいは(下の図の方が左右の段階数の合計が一定でわかりやすい)、
『貧困の哲学』構成:
序:神、エピグラフ「私は破壊する、そして建設する」(申命記32:39より)
1経済↓ 14結論:相互性
2価値↓ 13人口(十)↑
3分業(一)↓ 12共有(九)↑
4機械(二)↓ 11所有(八)↑
5競争(三)↓ 10信用(七)↑
6独占(四)↓ 9貿易均衡(六)↑__文庫上下巻区切り
7租税・治安(五)(労働)↓↑
(8矛盾法則(神と人間)(教育))
「いまここにある社会のありかたをひっくりかえすには、一種の不可抗力が必要である。それは
民衆の勇気でもなければ参政権でもない。それは民衆の労働でなければならない。」
(7(五)邦訳上477頁)
「社会の運命、人間の謎の解決はつぎのことばのうちにある。すなわち教育、すなわち進歩である。」
(8邦訳上516頁)
前者はヒトラー流の「自由への道」とは正反対である。後者はトルストイと一致した見解である。
「労働の組織化のために権力と資本にたよるものはみんな嘘つきである。
なぜなら、労働の組織化は資本と権力の失墜でなければならないからである。」
(12(九)ラスト邦訳下466頁)
『貧困の哲学』目次(一部改変)
章番号(段階):
プロローグ:神
1経済科学について
2価値について
3経済発展の
第一段階〜分業(一)
4第二段階〜機械(二)
5第三段階〜競争(三)
6第四段階〜独占(四)
7第五段階〜警察
あるいは税金(五)
8矛盾の法則のもとでの
人間の責任と神の責任____上巻
9第六段階〜貿易の 下巻
バランス(六)
10第七段階〜信用(七)
11第八段階〜所有(八)
12第九段階〜共有(九)
13第十段階〜人口(十)
14要約と結論
Pierre-Joseph Proudhon (1846), Système des contradictions économiques ou philosophie de la misère.
Table des matières
PROLOGUE
I DE LA VALEUR
II LA DIVISION DU TRAVAIL
III LES MACHINES
IV LA CONCURRENCE
V LE MONOPOLE
VI LA POLICE OU L’IMPÔT
VII DE LA RESPONSABILITÉ DE L'HOMME ET DE DIEU, SOUS LA LOI DE CONTRADICTION, OU SOLUTION DU PROBLÈME DE LA PROVIDENCE
VIII LA PROPRIÉTÉ
IX LA COMMUNAUTÉ
X CONCLUSION
(邦訳と少し違う)
http://philovelo.free.fr/Textes-de-philo/Les_oeuvres_completes/Proudhon_-_Systeme_des_contradictions_economiques_ou_philosophie_de_la_misere.pdf
参考:
スピノザ『国家論』図解
http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html#_00
スピノザ『国家論』:図解
目的:平和安全1:6、5:2
悪\ /善4:1
恐怖\ 民主国家11 /希望3:3
\____________/
越権行為\ 貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院400人?)
4:3、4\________/
\ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
4:1最高権力 権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
___________\__/_______________
自然状態、自然権 \/
3:2 本性,本能1:7、6:1
NAMs出版プロジェクト: スピノザ『神学政治論』『国家論』:メモ及び目次
http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html
参考:
http://nam-students.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html
貧困の哲学 上下 (平凡社ライブラリー): ピエール=ジョゼフ・プルードン, 斉藤悦則: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4582768202/
http://www.amazon.co.jp/dp/4582768210/
『貧困の哲学』:目次
プロローグ
第一章 経済科学について
第一節 社会経済における事実と権利の対立
第二節 理論と批判の不十分さ
第二章 価値について
第一節 使用価値と交換価値の対立
第二節 価値の構成、富の定義
第三節 価値の比例性の法則の応用
第三章 経済発展の第一段階――分業
第一節 分業の原理の相反する二つの帰結
第二節 一時しのぎの対策の無力さ
ブランキ、シュヴァリエ、デュノワイエ、ロッシ、パッシ各氏の策
第四章 第二段階――機械
第一節 機械の役割……自由とのかかわりにおいて
第二節 機微の矛盾……資本と賃労働の起源
第三節 機械による災厄への予防
第五章 第三段階――競争
第一節 競争の必要性
第二節 競争の逆効果。自由の破壊
第三節 競争への対策
第六章 第四段階――独占
第一節 独占の必要性
第二節 独占がもたらす労働厄災と思想の堕落
第L七章 第五段階――警察あるいは税金
第一節 税の総合的な概念と〜〜その始点と発展
第二節 税のアンチノミー
第三節 税につきものの悲惨な帰結
(食料品、奢侈法、農地および産業の警察、発明特許、登録商標など)
第八章 矛盾の法則のもとでの人間の責任と神の責任――神の摂理の問題の解決
第一節 人間の罪〜〜人間の堕落という神話の解説
第二節 神の摂理という神話の解説〜〜神の退却
原注
第九章 第六段階――貿易のバランス
第一節 自由貿易の必要性
第二節 保護貿易の必要性
第三節 貿易のバランスの理論
第一〇章 第七段階――信用
第一節 信用の思想の起源と系統~~信用の思想をめぐる相矛盾する偏見
第二節 信用制度の発展
第三節 信用の嘘と矛盾、その破壊的な作用、窮乏化の推進力
第一一章 第八段階――所有
第一節 所有の思想は経済の系列の外部では説明不可能
~~常識の構造、あるいは確かさの問題
第二節 所有の諸原因と所有の成立
第三節 所有はいかにして堕落するか
第四節 所有による神の仮説の証明
第一二章 第九段階――共有
第一節 共有は政治経済学から出てくる
第二節 固有のものと共有のものとの区別
第三節 共産主義の問題設定
第四節 共有はその出発点を終点ととらえる
第五節 共有は、共有の具体像である家族と両立しない
第六節 共有は分配の法則なしには不可能であり、そして分配によって滅びる
第七節 共有は組織の法則なしには不可能であり、そして組織によって滅びる
第八節 共有は正義なしには不可能であり、そして正義によって滅びる
第九節 共有は折衷的で愚昧で理解しがたい
第一〇節 共有は貧困の宗教である
第一三章 第一〇段階――人口
第一節 生殖と労働による社会の崩壊
第二節 貧困は政治経済学のしわざである
第三節 人口の均衡原理
第一四章 要約と結論
原注
訳者解説]]>
20140926 柄谷行人×港千尋×龔卓軍×林暉鈞
http://yojiseki.exblog.jp/20249840/
2014-10-02T13:00:00+09:00
2014-10-02T13:00:02+09:00
2014-10-02T13:00:02+09:00
yojisekimoto
柄谷行人
柄谷行人×港千尋×龔卓軍×林暉鈞
「新たな対抗運動の可能性―台湾・ひまわり革命」
今年3月〜4月、台湾の首都台北の立法院(国会議事堂)が585時間にわたって
学生たちに占拠された。「サービス貿易協定」の審議打ち切りに端を発した
運動は市民を交え、空前の規模に達した。「太陽花学運」(ひまわり革命)
と呼ばれるこの運動はどのような運動であったのか…
日時 9月26日(金)18:30開場/19:00開演
場所 北沢タウンホール(世田谷区北沢2-8-18)
アクセスマップ:https://kitazawatownhall.jp/map.html
入場料 500円
主催 associations.jp
共催 インスクリプト、隔月刊「社会運動」
////////////
柄谷「(「学生運動において学生は)労働者と違いはない。僕も学生なんです(会場笑)」
管理能力を示したのが台湾学生運動。日本でもそこが問われるし、台湾でも香港でもその持続性が
問われる。
龔(ゴン)氏の話はNAMでネットを使っていた頃を思い出した。
柄谷は台湾の運動は1960年安保闘争19591127国会構内抗争、非暴力のそれに似ていると言うが、
明らかに台湾のひまわり運動は消費者の運動だ。
(柄谷は学生=労働者を強調するが)親が働き、子は勉学=消費をするというように、
消費者としての労働者は学生に複合的に現れる。
(消費者運動をマルクスの言説を鵜呑みにして軽視するべきではない。消費者運動の
方が国境を超えやすい。ただ協同組合を成り立たせるためには1000倍
の消費者運動が必要だ~大概のNPOは1000人を越えると専従が雇えるのが根拠~ラッセ
ルだけが労働組合と消費組合両者の利害対立を指摘した。)
PCや美術を優先する龔氏や港氏の認識に甘さはあるが、両生類のような学生への生
成変化(主体化重視一辺倒だと各主体が孤立しがちだ)を促すのは彼らのデザイン能力だろう。
そのネットを駆使したデザイン能力が、地域通貨、くじ引き、地域金融、代替エネルギ
ー投資に持続的に発揮されるかが課題だ。
新自由主義者には、長期的にはこっちの方が儲かりますよ、と言わなければならない。
また思想的には老子が重要だ。小国寡民、自給自足が理想だ。この理想がないから
新自由主義者は株価に一喜一憂する。
前出のようにシンポジウムの内容は「社会運動」に再録される予定。]]>
8年前の反復
http://yojiseki.exblog.jp/19935295/
2014-06-25T16:50:00+09:00
2014-06-25T19:09:44+09:00
2014-06-25T16:50:22+09:00
yojisekimoto
スポーツ
ただコロンビア戦の岡崎のゴールは初戦コートジボワール戦で自分達がやられたことをやり返すという、意識的な反復によるもので、賞賛されるべきだろう。
初戦の雨の中の戦いを見て思い出していたのは『七人の侍』だった。
あの映画のなかの人物ほど、選手たちは全力を出していないのが歯がゆかった。
ちなみに、以前も書いたが、こと映画のなかにはサッカーの特にチームワークに関する全てがある。
ザッケローニは多分見ていないだろう。協会を通じてDVDをプレゼントするべきだった。
あと、強いチームはロッカールームで共通の音楽を流す場合が多い。2006年のイタリア、2010年のスペイン、、、
もう遅いが、最近の曲ならbonobosというバンドの「三月のプリズム」という曲あたりを推奨したい。
http://j-lyric.net/artist/a0080ca/l031391.html
歌:bonobos作詞:蔡忠浩作曲:蔡忠浩 りんごがね、今年はそれはそれは見事に染まったという
沖でも、それはたくさんの魚の群れを見かけたという
行方のわからぬアイツは、今も帰らんままだそうだが
ほっぺたの赤いあの娘は、ついに花嫁になるのだという
お天道様
なんというか、ありがとう
どうもありがとう
なきべっちょらにずっと降り注ぐのが良いことばかりであることを願い
わたしたちは歌おう、悲しみにドッコイセェと土を盛り
そして、千年の一瞬を狂った渚にまっさらなあかりがつくのを見よう
三月はプリズム 鉛色の海に沈黙の詩をなげた
七夕が近づく夏至の夜に集い、ともに汗を拭った
わたしたちはたまさか交わり、そして友達になった
なきべっちょらにずっと降り注ぐのが良いことばかりであることを願い
わたしたちは歌を交わし、悲しみにドッコイセェと土を盛り
そして、千年の一瞬を狂った渚に懐かしいあかりがつくのを
時間の速すぎる流れにも意味があるというのか
想い出もぶっちぎるほどに速く訪れる、無遠慮な未来にさえ
わたしたちは歌おう、悲しみにドッコイセェと土を盛り
そして、千年の一瞬を狂った渚にまっさらなあかりをつけよう
今
追記:曲調としては同バンドのこちらの曲の方がいいかも知れない。bonobos - うつくしいなまえ -【official music video】 - YouTubehttp://youtube.com/watch?v=j7DJIIuTwaM
]]>
『資本論』冒頭翻訳各種:(価値形態論とゲーデル不完全性定理)
http://yojiseki.exblog.jp/19832401/
2014-05-25T19:33:00+09:00
2014-05-25T19:53:55+09:00
2014-05-25T19:33:03+09:00
yojisekimoto
マルクス
"Das Kapital"
<Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine ungeheure Warensammlung, die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.>
(1867年初版。MEW Bd. 23, S.49)
<La richesse des sociétiés dans lesquelles règne le mode de production capitaliste s’annonce comme une 《immense accumulation de marchandises.》L’analyse de la marchandise, forme élémentaire de cette richesse, sera par consequent le point de départ de nos recherches.>
(1872年、J・ロア訳、マルクス自身の校閲によるフランス語訳)http://monsieurk.exblog.jp/17300334/
<The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails, presents itself as “an immense accumulation of commodities,” its unit being a single commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity. >
(1887年英語版)
<資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの「厖大な商品集成」として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。>
(昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社、35頁)
<資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。>
(向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年 第一巻67頁)
<資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。>
(平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店、国民文庫第一巻71頁。全集第23a巻47頁)
<資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
(鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)
<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)
<資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は「巨大な商品の集合体」の姿をとって現われ、ひとつひとつの商品はその富の要素形態として現われる。したがってわれわれの研究は商品の分析からはじまる。>
(今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション Ⅳ 資本論 第一巻(上)』筑摩書房、2005年)
<資本主義的生産様式が支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現れ、この富を構成しているのがこの商品である。だから、われわれの研究は商品の分析から始まる。>
(超訳、祥伝社2008年)
<資本制生産様式が支配的な社会においては、社会の富は「一つの巨大な商品の集まり」として現れ、ここの商品はその要素形態として現れる。だからわたしたちの研究もまた商品の分析から始まる。>
(中山元訳、日経、第一部全4巻第一巻27頁、2011年)
<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》として(als eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として(als seine Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始まる。>
(内田弘「『資本論』の自然哲学的基礎」2012年より。pdf公開されているこの論文で内田は集合-要素の対概念が大事だと強調する。その観点から新日本出版社訳が推奨される。筑摩、日経訳もこれにあてはまるだろう。)
<資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現はれ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。
(一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。>
(高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33
マルクスと集合論に関してはトラクリの価値形態に関する考察を参照(定本310頁)。
その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわかる。
マルクスはgoldによって集合論的矛盾を回避していると思う。
<それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成している獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほかに、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているようなものである>
(定本トラクリ318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年。27頁)
http://fourier.ec.kagawa-u.ac.jp/~kosuke/ideology.pdf
G
D: ◎ 貨幣形態
◯
C: /| 一般的価値形態
☆☆☆
☆☆☆
B:|/ 拡大された価値形態
◯
形態一、A:◯=☆ 単純な価値形態
(相対的価値形態 = 等価形態)
価値形態論とゲーデルの不完全性定理を比べるとよくわかるが、マルクスはゲーデルの半分しか叙述していない。不完全性定理においてゲーデル数が王権を得たまま固定することはあり得ない。これは時間というものを自らの歴史観に無意識に依拠しつつ扱ったマルクスの不備に起因する。価値形態A~Dは全て同時に存在し得るというのがゲーデルからマルクスへの答えである。
~~~~~~~~~~~~~~~
電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックスでも割安ででているはずだが、
アプリが不十分、ダウンロード不可?で推奨出来ない。やはりibooksを推奨する。
大月のon lineは検索機能だけでも画期的。ただコピペは出来ない。
CamScannerHD等scanアプリを使う手もあるが、、、、]]>
文庫版『柳田国男全集』柄谷行人言及箇所:メモ
http://yojiseki.exblog.jp/19364016/
2014-01-20T09:17:00+09:00
2014-01-21T23:39:51+09:00
2014-01-20T09:11:26+09:00
yojisekimoto
柄谷行人
文庫版柳田国男全集において、柄谷行人が文春文庫『遊動論 柳田国男と山人』(頁数)で言及したもの。@は引用。
『遊動論』付録年譜参照。
第1巻
海上の道(28,87)……………………………………… 7
「鼠の浄土」(131@)
海南小記(27)…………………………………… 297
島の人生…………………………………… 525
「島々の話 その四」(89?=第27巻「島の話」の間違い?)
*解説(福田アジオ)(28)…………………… 689
第2巻
雪国の春(94)……………………………………… 7
豆の葉と太陽……………………………… 345
「民俗学の話」(24@)
第3巻
ジュネーブの思い出(92-3@)……………………… 389
第4巻
遠野物語(31,32,33,35,46,52,67,72@,76)……………………………………… 7
山の人生(70,89@@,116-7@)………………………………………77
「山人考」(41@,85@@)
「山に埋もれたる人生のある事」(61@)
山人外伝資料(85-6@)……………………………… 385
第5巻
後狩詞記(35,52,67.69)……………………………………… 7
山民の生活(99)………………………………… 529
第6巻
妖怪談義……………………………………… 7
「九州南部地方の民風」(68@,70-1@)
「天狗の話」(72)
第7巻
第8巻
第9巻
第10巻
第11巻
第12巻
婚姻の話……………………………………… 7
「聟入考」(146)
家閑談(154@,154-5@)……………………………………… 273
親方子方(151)…………………………………… 499
第13巻
先祖の話(21-,22@,23,25,43,134@@@@@,136-7@,137-8@,140@,150@,167@168(@),174)……………… 7
日本の祭(123@,129@,132-3@,153-4@,169@)…………………………………… 211
神道と民俗学(55@,121-2@,128-9@,129@,134-5@)……………………………… 431
祭礼と世間(135@@)………………………………… 543
神道私見(49@@,129@,170@)…………………………………… 587
第14巻
山宮考(24)……………………………………… 389
第15巻
山宮考?
第16巻
第17巻
第18巻
第19巻
蝸牛考(111@)………………………………………… 7
第20巻
家の話(152@)……………………………………… 419
第21巻
第22巻
小さき者の声(125@)……………………………… 335
第23巻
こども風土記(124-5@)………………………………… 7
第24巻
狼のゆくえ?(117)
山宮考?
第25巻
第26巻
明治大正史 世相篇(62@@,101-2@,102@,110)………………………… 7
第27巻
青年と学問………………………………… 115
「青年と学問」(97@,98(@),)
「南島研究の現状」(90@)
「東北研究者に望む」(94@)
「郷土研究ということ」(108-9@)
「島の話」(89@)
東北と郷土研究(114@)…………………………… 486
実験の史学(11@,37,37,81@@,108,112@,112-3@,115)………………………………… 518
第28巻
郷土生活の研究法(110@,118,130@@,151)…………………………… 7
民間伝承論(81-2@,110@「重出立証法」,112@@,113@,115@)………………………………… 245
第29巻
時代ト農政(59-60@,62-3@,63-4@)…………………………………… 7
日本農民史(103)………………………………… 229
都市と農村(15@)………………………………… 333
第30巻
第31巻
第32巻
炭焼日記(13)………………………………… 163
野辺の小草(叙情詩)
「夕づゝ 」
かのたそがれの国にこそ/こひしき皆はいますなれ/うしと此世を見るならば/我をいざなへゆふづゝよ..(73-4@)...50
(定本柄谷行人集第一巻172頁参照)
文庫未収録:
「故郷七十年」(46-7@,48@)
「故郷七十年拾遺」(53-4@)
『近世奇談全集』序言(50-1@)
「世界苦と孤島苦」(27?,90@,91-2@)
「国際労働問題の一面」(95-6@)
「南方氏の書簡について」(107-8@)
「折口信夫対話集」(170,171@)
]]>
堺利彦「社会主義鳥瞰図」
http://yojiseki.exblog.jp/19174926/
2013-12-18T10:00:00+09:00
2013-12-18T10:17:50+09:00
2013-12-18T09:57:17+09:00
yojisekimoto
マルクス
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)
守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家___________________
/ |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_ /政友会 |
\_資本家主義____| | 同志会 |
/ | __| 国民党 |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| / \中正会 |
/ |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派_____ロイド・ジョージ |
\ |
労働組合主義__非政治派_____________________ |
\政治派____ | |
\____英国労働党___安部 | |
/ _ゾラ | |
社会主義 穏健派、修正派、提携派、入閣派_____ジョーレス_/_ショウ | |
\ | |
\_マルクス派、正当派、非提携派、非入閣派_____堺___ゴルキー | |
/ ___\__リープクネヒト | |
共産主義/ 直接行動派、シンデカリスト、非議会派/______________| |
|\ |
無政府共産主義____クロポトキン______大杉 \____オスカァ・ワイルド |
| \アナトル・フランス |
_スチルネル、ニイチェ_ | |
個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|_________________|
\_日本現時文芸家の多数_/
http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2013/02/post-0343.html
1914年に書かれた「大杉君と僕」(堺利彦)という文章には、以下のように社会主義が解説されている。
「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
一、温和派(あるいは修正派)
一、マルクス派(あるいは正純派)
一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」
というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。]]>
2013年11月23日 知の現在と未来:メモ
http://yojiseki.exblog.jp/19037088/
2013-11-23T23:16:00+09:00
2013-11-27T03:10:26+09:00
2013-11-23T23:14:12+09:00
yojisekimoto
柄谷行人
https://academy.meiji.jp/course/detail/1340/
岩波書店 共催
柄谷講演(「資本主義に安楽死はない〜歴史的段階としての新自由主義」)は、
「帝国主義論」とも言える『世界史の構造』第三部(資本、近代世界システム)の駆け足の要約。
会場の後ろの方はその思考、発話の速度について行けてなかった。
(交換様式については最初に触れただけでほとんど追加説明していなかった。)
新しい観点としては、インドのヘゲモニー国家になる可能性に触れていたのが興味深かった。
ヘゲモニー国家は自由主義的で前ヘゲモニー国家と継承関係になければならないので、
次期ヘゲモニー国家に中国は難しいということらしい。
(資本主義世界が続いていればだが)インドが有力だそうだ。
主な参考文献:
モーゲンソー『国際政治』(帝国と帝国主義の差異。帝国主義を国家間の関係で見た?)
宇野弘蔵『経済政策論』(国家と資本とを分けた?)
ホブソン『帝国主義』(単純な内需拡大論だが、イギリスを見ていた点で、
ヒルファーディング『金融資本論』のドイツ、アメリカ偏重より評価出来るらしい)
デヴィッド・ハーヴェイ 『新自由主義』(柄谷は「中国的特色を持った新自由主義」という言葉を引用した)
柄谷の参加しなかった後半のシンポジウム登壇者の関心をあえて柄谷交換図で分類すると、
丸川|金子
ーー+ーー
堤 |國分
となるだろう。
柄谷講演がネグリ的?もしくはネットワーク型及び分散型対抗運動を帝国主義時代(今)の対抗運動の特徴だと
相対化したので、
マルクスに批判的で分散型社会を提唱する金子は最初から不機嫌だったようだ。
封建制の話、地域行政の話。TPPの話。国連の話、グローバル企業の話 etc.
(丸川の言う自主というよりも)主体、という概念が隠れた共通タームで、
未来にどういう価値観、理想やルール、コモンズを持つかべきは端緒だけで時間切れだった。
会場は大きく、木目調のよく出来たデザインだが省エネのせいなのか空調が悪く、
自分がいた場所は微妙な居心地だった。
各論者ともに日本以外の拠点があることが特徴なので遊動性がキーワードになったら
面白かったのに、と後から思った。]]>
アリストテレスとハイデガーの倫理:メモ
http://yojiseki.exblog.jp/18977573/
2013-11-16T14:12:59+09:00
2013-11-16T14:09:09+09:00
2013-11-16T14:09:09+09:00
yojisekimoto
ハイデガー
アリストテレス『弁論術』第二巻(のうち第2~11章)は、情念論の原型である。アリストテレスは、
怒り2と 穏和3、
友愛と 憎しみ4、
恐れと 大胆さ5、
恥と 無恥6、
親切と 不親切7
という具合に、感情論を対になる感情の組み合わせで論じている。これらに続いて、
憐れみ8、義憤9、
妬み10、
競争心11
を取り上げている。
(参考:濱岡剛:不平等をめぐる感情)
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~hamaoka/hamaoka/essays/indignation&envy.pdf
以下、藤江泰男氏作成、
〈アリストテレスの中庸の徳・一覧表 〉
項 不足 中間性 過剰
・中庸
恐れと平静 むこうみず 勇気 臆病
快楽と苦痛(自分) 無感覚 節制 ふしだら
財貨の供与と取得(小) さもしさ (もの惜しみしない) しまりなさ
心の広さ
財貨の供与と取得(大) 卑小 豪気 俗悪と陳腐
名誉と不名誉(大) 卑屈 高邁 虚栄
名誉と不名誉(小) 功名心のない人 無名称 功名心のある人
怒り 腑抜け 温和 怒りっぽい
言葉と行為(真) おとぼけ 真実 はったり
言葉と行為・遊び(快) 野暮 機知 道化
言葉と行為・生活(快) つむじ曲り・気難しや 情愛 御機嫌取り・胡麻すり
情 恥知らず 恥を知る 引っ込み思案
苦痛と快楽(他人) 人の悪い喜び 義憤 嫉み
正義(第5巻) 全般的・特殊的正義
『ニコマコス倫理学』II-7 から作成。訳語も藤江泰男氏のもの。
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331
「徳とは選択にかかわる性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)なのであり,そ
の本質はわれわれとの関係における中庸(メソテース)なのである,ということになる
が,その場合の中庸とは,道理(ロゴス)によって,しかも思慮ある人が中庸を規定す
るのに用いるであろうような道理によって規定されたものなのである 。」
(『ニコマコス倫理学』,II-6, 1106b–1107a. 40)
以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 65頁より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
http://yojiseki.exblog.jp/7748670/
死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。
"Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表
Stages 非 本 来 的 本 来 的
of
Dying 空談 好奇心 曖昧性 沈黙 内省 決意性
否認 @ @ @
怒り @ @ @
取り引き @ @ @ @
抑鬱 @ @ @
受容 @ @ @
『死ぬ瞬間』 『 存 在 と 時 間 』
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インスクリプト『柳田国男論』
http://yojiseki.exblog.jp/18947277/
2013-11-11T02:47:00+09:00
2013-11-13T02:01:05+09:00
2013-11-11T02:44:29+09:00
yojisekimoto
柄谷行人
http://www.amazon.co.jp/dp/4860293541/
に収めれた柄谷行人の若かりし日の写真が2枚掲載されている。
表紙の港千尋による写真(縄文的イメージ?)が相対化されていると言えなくもない。
内容に関して言うと驚くべきことに、1974年の「柳田国男試論」終盤で柄谷行人はすでに柳田国男の旅行記における移動の重要性に着目していた。「島の文化史上の意義」もすでに指摘されている(253頁)。ただし、この柳田国男の旅行は国家を前提にしたもう一つのノマドロジーの側面も多少ある(むろん当時の柳田国男の「現実の諸条件」における努力を全否定はできないが)。
その他、柳田国男が宣長より荻生徂徠に近いという指摘は面白い*。
また、折口信夫への言及がその論理的一貫性を明確にしていて興味深い(これは他でも書いていたはずだが)。
ただ、 大抵の柳田国男論に乗り切れない自分の意見を述べると、
柳田国男は、
本来の日本=今の日本-西欧文化-江戸-仏教-中国-アイヌ
と考えたようだが、江戸を引いたのが余計だった、と思う。
この明治維新以降の政府官僚だったことによるバイアス(江戸時代への対抗心)があちこちで齟齬をきたす要因になっている**。
例えば協同組合の原型であり得た報徳社を柳田国男は必要以上に批判しすぎた。
信用制度が弱いのは当たり前だし、それこそ明治以降の近代国家において政府官僚***がやるべき仕事なのに。
これで日本の協同組合運動は断ち切られた(オーバーな言い方かも知れないが)。
端的に言えば自然主義****から始まった柳田国男の仕事は一からやり直す必要があるのだ。
______
*
最新の「文学界」連載の柳田国男論(『山人と柳田国男』文春新書(2014年刊行予定))では新国学は宣長を継ぐものとされる。
**
それに対して、多角的な視点が熊楠にはあったし、他者からの視点が折口信夫にはあった。
***
社倉は遊動性を確保した貯蓄ということなのだろうが、それでも論理的矛盾は消えない。国家は両義的になる。柳田国男はそうした国家の両義性から逃避している。
柄谷はat18でそうした柳田国男を擁護しているが、これはプルードン批判したマルクスを擁護するのと同じ構図だ。
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自然主義はナチュラリズムとして考えると良い。超-に対してただの自然主義。その意味ではスピノザも自然主義と言える。]]>
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