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2012年 01月 13日 ( 1 )

フーコーと行動システム

パーソンズが思想家を分類した図↓で、行動システムの項だけが空白だった。ウェーバーもしくはモースを入れてもいいと思っていたが、
フーコーがあてはまることに最近思い当たった。

         |人格システム|社会システム
         |フロイト  |マルクス
 有機体システム |    行為システム
 判断力批判   |____実戦理性批判____
         |行動システム|文化システム
         |   ?  |デュルケム 
_________|______|_______
         |
物理・化学システム| 究極システム
純粋理性批判   |  スピノザ
         |
         |

(社会システムには柄谷の交換図が対応する。)

前期フーコーはグラムシの後を継いで文化システム(上記図ではデュルケム)に対応するが、
後期フーコーは行動システムを研究したと見ていい(さらに最初期を考えれば、人格システムの相対化を心理学批判において成し遂げようとしていたし、カントの三批判書を人間学批判において相対化していた。晩年は究極システムへ興味を広げていた)。
法(社会システムの左上に位置する。上図では省略)からはみだす人間の行動に彼は興味を示すのだ。
そのことは彼がかかわった映画に関するインタビューからもわかる。

Michel Foucault A propos de Pierre Riviere par...
http://www.dailymotion.com/video/k7bEl5c8BkVvdh2GERN

採用されたのは以下。()内はカットされている。
(邦訳『ミシェル・フーコー思考集成VI 1976-1977 セクシュアリテ/真理』 より)

「いずれにしろこのディスクールは、考えられるあらゆる攻略方法をあまりに見事に逃れてしまっています。
ですから事件の核心そのものについて、この犯罪、この行為について、無限に後退した位置から発言する以外、
どうしようもありません。なんにせよこれは、犯罪史においてもディスクールの歴史においても、比べる
ものがないような現象です。この犯罪は一つのディスクールに伴われているわけですが、そのディスクールが
あまりに強く、あまりに奇妙なせいで、犯罪というものがついには存在になくなってしまう、ついには
逃れ去ってしまうのです。そのディスクールが、犯罪を犯した本人がその犯罪について書いたものである
という事実によって、そうなのです。」(127ー8頁)

「アリオのフィルムの重要性としては、農民たちにその悲劇を与えたという点もありますね。十八世紀までの
農民の悲劇は、最終的には飢餓の悲劇でした。ところが十九世紀からは、そしておそらく今でもそうなので
すが、それはあらゆる偉大な悲劇と同様に、法の悲劇、法と土地の悲劇なのです。(ギリシア悲劇とは、法の誕生
と、法が人間に与えた致命的な効果を語る悲劇です。リヴィエール事件は一八三六年、つまり民法施行から約二
十年後に起きました。)農民は日常生活の中で新しい法を押し付けられ、この新しい法体系の中で争っていたわけ
です。リヴィエールのドラマはまるごと法のドラマであり、法典の、法律の、土地の、結婚の、あるいは財産の
ドラマなのです。ところが農民の世界は、いつでもまさにこの悲劇の内側で動いています。(だから肝心なのは、
現在の農民たちに、彼らの生活のそれでもあるこの古いドラマを演じさせることであるわけです。古代ギリシア
の市民たちが、舞台の上に自分たち自身の都市を見ていたのと同じことなのです。)」(130頁)


Michel Foucault A propos de Pierre Rivière, par Pascal Kané. (1976)


http://www.arsvi.com/b1990/9400fm8.htm
ミシェル・フーコーとの対話 
P・カネとの対話。R・アリオの映画『私ことピエール・リヴィエールは、母と妹、弟を殺害しましたが......』に 関して

A propos de Pierre Rivière, le film du tournage, réalisé par Pascal Kané. (25min - 1976)より
by yojisekimoto | 2012-01-13 15:03 | 歴史