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8年前の反復

2014年ブラジルW杯、ザックジャパンはよく指摘されるように2006年のジーコジャパンの反復で終わった。そういえば初戦本田のゴールのコースは2006年の玉田のそれに似ていた。
前田の不在、初戦前日の現地入り、ギリシャ戦の齋藤の未投入、守備的ボランチの併用、豊田の不在、数え上げれば切りが無いが悔いが残る戦いだった。
ただコロンビア戦の岡崎のゴールは初戦コートジボワール戦で自分達がやられたことをやり返すという、意識的な反復によるもので、賞賛されるべきだろう。

初戦の雨の中の戦いを見て思い出していたのは『七人の侍』だった。
あの映画のなかの人物ほど、選手たちは全力を出していないのが歯がゆかった。
ちなみに、以前も書いたが、こと映画のなかにはサッカーの特にチームワークに関する全てがある。
ザッケローニは多分見ていないだろう。協会を通じてDVDをプレゼントするべきだった。

あと、強いチームはロッカールームで共通の音楽を流す場合が多い。2006年のイタリア、2010年のスペイン、、、
もう遅いが、最近の曲ならbonobosというバンドの「三月のプリズム」という曲あたりを推奨したい。

歌:bonobos作詞:蔡忠浩作曲:蔡忠浩

りんごがね、今年はそれはそれは見事に染まったという
沖でも、それはたくさんの魚の群れを見かけたという

行方のわからぬアイツは、今も帰らんままだそうだが
ほっぺたの赤いあの娘は、ついに花嫁になるのだという

お天道様
なんというか、ありがとう
どうもありがとう

なきべっちょらにずっと降り注ぐのが良いことばかりであることを願い
わたしたちは歌おう、悲しみにドッコイセェと土を盛り
そして、千年の一瞬を狂った渚にまっさらなあかりがつくのを見よう

三月はプリズム 鉛色の海に沈黙の詩をなげた
七夕が近づく夏至の夜に集い、ともに汗を拭った

わたしたちはたまさか交わり、そして友達になった

なきべっちょらにずっと降り注ぐのが良いことばかりであることを願い
わたしたちは歌を交わし、悲しみにドッコイセェと土を盛り
そして、千年の一瞬を狂った渚に懐かしいあかりがつくのを

時間の速すぎる流れにも意味があるというのか
想い出もぶっちぎるほどに速く訪れる、無遠慮な未来にさえ

わたしたちは歌おう、悲しみにドッコイセェと土を盛り
そして、千年の一瞬を狂った渚にまっさらなあかりをつけよう


追記:

曲調としては同バンドのこちらの曲の方がいいかも知れない。

bonobos - うつくしいなまえ -【official music video】 - YouTube

http://youtube.com/watch?v=j7DJIIuTwaM


# by yojisekimoto | 2014-06-25 16:50 | スポーツ

『資本論』冒頭翻訳各種:(価値形態論とゲーデル不完全性定理)

『資本論』冒頭翻訳各種:

"Das Kapital"
<Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine ungeheure Warensammlung, die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.>
(1867年初版。MEW Bd. 23, S.49)

<La richesse des sociétiés dans lesquelles règne le mode de production capitaliste s’annonce comme une 《immense accumulation de marchandises.》L’analyse de la marchandise, forme élémentaire de cette richesse, sera par consequent le point de départ de nos recherches.>
(1872年、J・ロア訳、マルクス自身の校閲によるフランス語訳)http://monsieurk.exblog.jp/17300334/

<The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails, presents itself as “an immense accumulation of commodities,” its unit being a single commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity. >
(1887年英語版)

<資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの「厖大な商品集成」として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。>
(昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社、35頁)

<資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。>
(向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年 第一巻67頁)

<資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。>
(平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店、国民文庫第一巻71頁。全集第23a巻47頁)

<資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
(鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)

<資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は「巨大な商品の集合体」の姿をとって現われ、ひとつひとつの商品はその富の要素形態として現われる。したがってわれわれの研究は商品の分析からはじまる。>
(今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション Ⅳ 資本論 第一巻(上)』筑摩書房、2005年)

<資本主義的生産様式が支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現れ、この富を構成しているのがこの商品である。だから、われわれの研究は商品の分析から始まる。>
(超訳、祥伝社2008年)

<資本制生産様式が支配的な社会においては、社会の富は「一つの巨大な商品の集まり」として現れ、ここの商品はその要素形態として現れる。だからわたしたちの研究もまた商品の分析から始まる。>
(中山元訳、日経、第一部全4巻第一巻27頁、2011年)

<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》として(als eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として(als seine Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始まる。>
(内田弘「『資本論』の自然哲学的基礎」2012年より。pdf公開されているこの論文で内田は集合-要素の対概念が大事だと強調する。その観点から新日本出版社訳が推奨される。筑摩、日経訳もこれにあてはまるだろう。)

<資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現はれ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。

(一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。>
(高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33


マルクスと集合論に関してはトラクリの価値形態に関する考察を参照(定本310頁)。
その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわかる。
マルクスはgoldによって集合論的矛盾を回避していると思う。

<それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成している獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほかに、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているようなものである>
(定本トラクリ318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年。27頁)

http://fourier.ec.kagawa-u.ac.jp/~kosuke/ideology.pdf

             G
      D:  ◎ 貨幣形態
          ◯ 
      C: /| 一般的価値形態
        ☆☆☆  
        ☆☆☆     
      B:|/  拡大された価値形態
        ◯ 
  形態一、A:◯=☆ 単純な価値形態
(相対的価値形態 = 等価形態)

価値形態論とゲーデルの不完全性定理を比べるとよくわかるが、マルクスはゲーデルの半分しか叙述していない。不完全性定理においてゲーデル数が王権を得たまま固定することはあり得ない。これは時間というものを自らの歴史観に無意識に依拠しつつ扱ったマルクスの不備に起因する。価値形態A~Dは全て同時に存在し得るというのがゲーデルからマルクスへの答えである。

~~~~~~~~~~~~~~~

電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックスでも割安ででているはずだが、
アプリが不十分、ダウンロード不可?で推奨出来ない。やはりibooksを推奨する。
大月のon lineは検索機能だけでも画期的。ただコピペは出来ない。
CamScannerHD等scanアプリを使う手もあるが、、、、
# by yojisekimoto | 2014-05-25 19:33 | マルクス

文庫版『柳田国男全集』柄谷行人言及箇所:メモ

             (リンク::::::::::民俗学柳田国男文庫版目次作業用目次=本頁柄谷行人

文庫版柳田国男全集において、柄谷行人が文春文庫『遊動論 柳田国男と山人』(頁数)で言及したもの。@は引用。
『遊動論』付録年譜参照。


第1巻 
海上の道(28,87)……………………………………… 7
 「鼠の浄土」(131@)
海南小記(27)…………………………………… 297
島の人生…………………………………… 525
 「島々の話 その四」(89?=第27巻「島の話」の間違い?)
*解説(福田アジオ)(28)…………………… 689


第2巻 
雪国の春(94)……………………………………… 7
豆の葉と太陽……………………………… 345
 「民俗学の話」(24@)

第3巻 
ジュネーブの思い出(92-3@)……………………… 389

第4巻 
遠野物語(31,32,33,35,46,52,67,72@,76)……………………………………… 7
山の人生(70,89@@,116-7@)………………………………………77
 「山人考」(41@,85@@)
 「山に埋もれたる人生のある事」(61@)
山人外伝資料(85-6@)……………………………… 385

第5巻 
後狩詞記(35,52,67.69)……………………………………… 7
山民の生活(99)………………………………… 529


第6巻
妖怪談義……………………………………… 7
 「九州南部地方の民風」(68@,70-1@)
 「天狗の話」(72)

第7巻 
第8巻 
第9巻 
第10巻 
第11巻 
 

第12巻 
婚姻の話……………………………………… 7
 「聟入考」(146)
家閑談(154@,154-5@)……………………………………… 273
親方子方(151)…………………………………… 499


第13巻 
先祖の話(21-,22@,23,25,43,134@@@@@,136-7@,137-8@,140@,150@,167@168(@),174)……………… 7
日本の祭(123@,129@,132-3@,153-4@,169@)…………………………………… 211
神道と民俗学(55@,121-2@,128-9@,129@,134-5@)……………………………… 431
祭礼と世間(135@@)………………………………… 543
神道私見(49@@,129@,170@)…………………………………… 587


第14巻 
山宮考(24)……………………………………… 389

第15巻 
山宮考?

第16巻 
第17巻 
第18巻 


第19巻 
蝸牛考(111@)………………………………………… 7


第20巻 
家の話(152@)……………………………………… 419

第21巻

第22巻
小さき者の声(125@)……………………………… 335

第23巻
こども風土記(124-5@)………………………………… 7

第24巻
狼のゆくえ?(117)
山宮考?

第25巻

第26巻
明治大正史 世相篇(62@@,101-2@,102@,110)………………………… 7


第27巻
青年と学問………………………………… 115
 「青年と学問」(97@,98(@),)
 「南島研究の現状」(90@)
 「東北研究者に望む」(94@)
 「郷土研究ということ」(108-9@)
 「島の話」(89@)
東北と郷土研究(114@)…………………………… 486
実験の史学(11@,37,37,81@@,108,112@,112-3@,115)………………………………… 518

第28巻 
郷土生活の研究法(110@,118,130@@,151)…………………………… 7
民間伝承論(81-2@,110@「重出立証法」,112@@,113@,115@)………………………………… 245

第29巻
時代ト農政(59-60@,62-3@,63-4@)…………………………………… 7
日本農民史(103)………………………………… 229
都市と農村(15@)………………………………… 333

第30巻 
第31巻 

第32巻 
炭焼日記(13)………………………………… 163
野辺の小草(叙情詩)
 「夕づゝ 」
 かのたそがれの国にこそ/こひしき皆はいますなれ/うしと此世を見るならば/我をいざなへゆふづゝよ..(73-4@)...50
 (定本柄谷行人集第一巻172頁参照)


文庫未収録:
「故郷七十年」(46-7@,48@)
「故郷七十年拾遺」(53-4@)
『近世奇談全集』序言(50-1@)
「世界苦と孤島苦」(27?,90@,91-2@)
「国際労働問題の一面」(95-6@)
「南方氏の書簡について」(107-8@)
「折口信夫対話集」(170,171@)

# by yojisekimoto | 2014-01-20 09:17 | 柄谷行人

堺利彦「社会主義鳥瞰図」

堺利彦「社会主義鳥瞰図」
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)

     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家___________________
    /                                     |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_      /政友会          |
           \_資本家主義____|    | 同志会          |
           /          |  __| 国民党          |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| /   \中正会          |
                       /                  |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派_____ロイド・ジョージ      |
      \                                   |
       労働組合主義__非政治派_____________________  |
              \政治派____                  | |
                      \____英国労働党___安部   | |
                      /           _ゾラ   | |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派_____ジョーレス_/_ショウ  | |
    \                                   | |
     \_マルクス派、正当派、非提携派、非入閣派_____堺___ゴルキー | | 
     /                    ___\__リープクネヒト | |
共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派/______________| |
                        |\                |
無政府共産主義____クロポトキン______大杉 \____オスカァ・ワイルド  |
                        |     \アナトル・フランス  |
          _スチルネル、ニイチェ_  |                 |
個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|_________________|
         \_日本現時文芸家の多数_/


http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2013/02/post-0343.html
堺利彦「社会主義鳥瞰図」_a0024841_1013579.jpg

1914年に書かれた「大杉君と僕」(堺利彦)という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」

というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。
# by yojisekimoto | 2013-12-18 10:00 | マルクス