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柳田国男と靖国神社(柄谷行人「遊動論-山人と柳田国男(前篇)」:メモ)

柄谷行人「遊動論-山人と柳田国男(前篇)」「文学界」2013.10:メモ

柄谷は柳田国男の後継者にコモンズを導入した宇沢弘文を置く。
講演時に柄谷の語った(柳田の)死後の魂のアソシエーションは靖国の論理に近いと思ったが、 実際靖国が「先祖の話」を模倣したという。
以下柄谷が参照した川田順造の文章から引用。

 経世済民の志と学問のあり方をめぐって、初期柳田に執着する私がこだわらずにいられないのは、敗戦直後、GHQの政策で存亡の危機に立たされた靖国神社を、新暦の盆に当たる七月一五日を中心とする「みたままつり」を民俗に基づく行事としてGHQに認めさせ、それを基礎に靖国神社を存続させたことへの、民俗学者柳田国男の関与だ。
(略)
 昭和二〇年(一九四五)、三月に折口信夫の養子春洋(はるみ)が硫黄島で戦死したこともおそらく契機のひとつとなって、柳田は空襲下の東京で四月から五月にかけて『先祖の話』を書き(刊行は筑摩書房から昭和二一年(一九四六))、仏教の盂蘭盆会で「精霊」とされる以前の「みたま」とそのまつり方について、考察をすすめた。これを読んだ当時の靖国神社禰宜・総務部長坂本定夫は、度々柳田を訪ねて教えを乞い、昭和二一年七月一五日に、長野県遺族会有志が盆踊りを奉納した機会に、七月二五日から柳田に三回の民俗学講座「氏神と氏子について」の連続講演を依頼し、実現させた。九月から一一月にかけても、ほぼ毎週土曜日に「民間伝承の会」主催の民俗学講義を靖国会館講堂で開き、講師として柳田国男も何度も招いている。
 翌昭和二二年七月からは、柳田の『先祖の話』を基礎に神社側でもパンフレットを作って準備し、一三日から一六日までを正式に「みたま祭」として、踊りの奉納、雪洞の奉納を中心に、夜店も出し、伝統的民俗行事として靖国神社で執り行うことにした。GHQにも「フォーク祭」(民俗行事)として説明して了承を得、担当官も招いた。このようにして靖国神社は、占領下も無事存続した。
 ただ、「みたま」の性格からして、それまで靖国神社に祀られていた祭神(戦死者)以外の死者の「みたま」も祀ることになるので、昭和二四年(一九四九)からは、神社側でもみたま祭前夜祭に先立ち、七月一三日午後六時から、新たに「諸霊祭」を行うようになった。
(略)
(川田順造「最初期の柳田を讃える」「現代思想」2012年10月 臨時増刊号 柳田国男 134ー5頁より)


(上記はA級戦犯合祀の問題などとも関連するが話を柳田にもどすと)柳田は報徳社などを否定的媒介(by花田清輝)としたので、江戸の可能性を切り捨てた。
だから個人的には包括的協同組合論とは思うが評価出来ない。
柳田国男の協同組合論を読んでも何もでてこない。
柳田国男は協同組合に関して近代主義だ。
言っていることとやっていることが違う。

柳田国男は報徳社の意義を理解できなかったのだと思う。NAMのように報徳社は母体であって主体ではない。協同組合社会は法律だけでは獲得出来ない。柄谷論考でも引用されている以下の並松論文を読んで改めてそう思う。

http://ksurep.kyoto-su.ac.jp/dspace/bitstream/10965/448/1/AHSUSK_SSS_27_83.pdf

ただし靖国のそれは片務的契約で柳田のそれは双務的であろう。
# by yojisekimoto | 2013-09-13 10:07 | 柄谷行人

イワンと大審問官

書評メモ:
柄谷行人蓮實重彦全対話 (講談社文芸文庫) [文庫]

最近の柄谷の概念フレームに本書の断片的な言説が整理され得ることに気づいたら、既読の対談集で資料として買っただけのつもりの本書が途端に面白くなった。
詳述するなら、本書の柄谷の言説の数々は、ネーション、ステート、キャピタル、アソシエーションという枠組みに収斂され得るのだ。
言語の問題がアソシエーションに対応するが、ここではまだ積極的な提案にはなり得ていないし、ある種の実体論が仮想敵になっているので立場が今日とは逆に見える場合もある(交換という概念を実体化するパーソンズが批判される〜48頁〜)。
柄谷と蓮実とのすれ違いは、これらの対談後、1999年の柄谷の蓮実批判で決定的になる(映画祭のシンポジウムでの発言で未単行本化)。
柄谷はプロレタリアートの立場から映画における歴史性、主題の欠如に耐えられない。蓮実はロラン・バルトよろしく意味の宙吊りを楽しもうとする、そしてそれ自体はブルジョアの典型的な態度なのだ。
とはいえ蓮実も大正的なるものを体現しておりこれも倫理的なものだしそれ自体歴史的なものとして評価し得る。このあたりを理解するには、両者の参加した『近代日本の批評』を併読すべきだろう。
とにかく、柄谷が希有な思想家として成長する過程が、映画=映画という図式を守る大審問官(=蓮実)との対峙を通して確認できるのは興味深い。
# by yojisekimoto | 2013-08-04 23:42 | 柄谷行人

『風立ちぬ』メモ

『風立ちぬ』の前半は傑作
ただ後半、特にラストはうまく行っていない
冒頭の少年時代の夢は視差と矛盾をうまく表現していたのに…

最後は二郎に「日本の少年よ」と観客に向けて語らせれば良かった

また「飛行機は戦争のためでも商売のためのものでもない」というセリフがあったが、商売を否定するのは間違いだ
夢の交換も商売と言えるし、坂本龍馬やプルードンの夢はそこにある

アーセナルも大砲生産をサッカークラブに変えたし、ソ連製の楽器ビックマフも戦車工場を楽器工場に変えるなかで生まれたという…

主人公とユンカースという戦争に反対したドイツ人技師とを並べるのは無理があった
どうせなら「広場の孤独」を書いた堀田善衞の人生も組み込めばよかった…

追記
黒澤は戦争を関東大震災のイメージで、宮崎は関東大震災を戦争のイメージで描いている
戦争と天災の混同は加害責任への無自覚と関わるので追記したい
ただ両天才ともに美しい夢への代償と責任を誰よりも知っていたと思う
# by yojisekimoto | 2013-07-25 01:01 | 映画

経済学:メモ


マルクス     ワルラス
 l \     / l
 l  \   /  l
 l   \ /   x
カレツキ  x    l
 l   / \   l
 l  /   \  l
 l /  ゲ  \ l
ケインズーーゼーープルードン
      ル

マルクスもワルラスも(プルードンを剽窃しつつの)
プルードン批判がキャリアの出発点である

ワルラスとケインズとではセーの法則に賛否が分かれるが
ワルラスがケインズに連なる近代経済学の祖と言っても過言ではない
(ケインズ=ヒックスのIS–LM modelモデルも、財と貨幣の一般均衡理論と言える)


上記図は、

国家l国民
ーー+ーー
資本l X

という柄谷交換図に対応する

上記図の中央の交差は政治と経済のIS-LM分析とも呼べる

通常IS-LM分析は
縦軸が利子率
横軸が国民所得を表し、

流動性貨幣市場が/
投資財が\

上記図では左右反転し、

流動性貨幣市場が政治\
投資財が経済/
# by yojisekimoto | 2013-07-10 12:25 | プルードン